大学の助手としてスタートしたばかりの私は、鍼灸についてほとんど実績のない中で、あちこちの勉強会、研究会に参加させていただくこととなり、また、医学について東京大学医学部内科物理療法学教室で研修させていただいていたこともあって医学的視点から鍼灸を見つめ検討する勉強を猛烈なスピードで行いました。
昭和48年(1973年)には厚生省の「特定疾患スモン研究班」がスモン患者に対する東洋医学研究を開始し、恩師芹澤は、東洋医学の班長を務め、私が実務担当者として医学部の先生方と共に研究に当たりました。
これは、私が平成11年(1999年)に筑波技術短期大学長になるまで続きました。
医学的視点、科学的視点から鍼灸をとらえることで、私は救われました。
そして「仕事が趣味か、趣味が仕事か」という生活が30数年続きました。