お通夜に行きました。
現職の時にいろいろな仕事を一緒にした思い出の多い方でした。
奥様が数年前に他界されました。
ご本人とは昨年の夏にお会いしたのが最後でした。

人生の途上で思いがけず他界する場合はともかくとして、私も73
歳になってみると社会とのお別れの仕方のようなことが頭の片隅にあるのです。
今回も特にそんなことを強く思いながらお通夜の時間を過ごしました。
奥様とも親しかったので奥様が存命であれば、故人へのお別れの気持ちを伝える対象が明確なのですが、お子様達にはほとんど面識がないので何か故人への思いの接点が見つけにくく、どんな葬儀の仕方がよいのだろうかとの思いを持ちました。


ご逝去の方を知ったときからの思いでしたので、早めに出かけ共に過ごしたあたりを1時間ほど散策しながら思い出していました。
何かでも満たされないものが残ります。
それが喪失感といえばそうでしょう。


私は、73歳になりもはや人生の途上ではなく、最後を見通せるような処におりますので、自分の幕引きは、自分で企画、演出して皆様とお別れした方がいいなと思いました。
社会とのお別れのセレモニーは、葬儀とは別のものにして葬儀は家族がしてくれればよいというのが、私の思いです。
最後の交流をしたいなという思いを持つ人々と経済的負担をできるだけ抑え、記念品などなく、ちょっとしたおつまみと飲み物で、語り合える楽しい時間を共有できる機会を、お別れの場としたいと考えています。


数年後にはそんな計画をお伝えすることができればよいなと考えています。

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