小野昭著 朝日新聞出版部
わくわく興奮して、こんな幸せな思いにさせてもらえる人生に感謝しました。以下に要点を記します。
1856年 ネアンデル渓谷で ネアンデルタール人 化石人骨発見。
発見は採掘中のできごとであった。
洞窟を突き崩す作業に従事していた労働者たちは、目にしたものが何かの動物の骨だとわかったが、人間の骨とは思っていなかったようだ。
そのため、骨の大部分は洞窟の外に廃棄されてしまった。
運よく一部の骨だけが回収され、今日まで残ることになった。
しかし発見場所の洞窟は、産業革命期のセメント用石灰岩採掘のターゲットであったので、その後、跡形もなく取り尽くされてしまった。
人骨が発見された「小フェルトホーファー洞窟」も採掘の対象となって崩されてしまった。
1900年には、ネアンデル渓谷は消失し平地になってしまった。
なぜ執拗に発見地を突き止めようとするのか。
考古学、人類学では、どこで発見されたか、いつごろ(時代や年代)のものであるか、これが議論の前提となる最も基礎的で重要な事項である。
考古学の方法論では、「どこで」は資料の分布論的基礎となり、「いつごろの」は編年論として年代学的基礎となる。
こうした基礎条件を欠いた資料は、たとえ資料自体がすばらしいものであっても、資料的価値はきわめて低い。
二人の若い考古学研究者ラルフ・シュミッツ(Ralf W.Schmitz)とユルゲン・ティッセン(Ju¨rgen Thissen)は、ネアンデルタール人骨が最初に発見された場所をピンポイントに奇跡的に突き止めた。
二人は1997年に渓谷で人骨の断片を発見した。
新に発見した骨の破片は、1856年発見の標本化石骨の大腿骨の一部に接合し、これによって模式標本の発見場所が特定された。
1999年1月21日のことである。
その後2001年2月13日に、2000年の追加発掘で発見された頬骨を、模式標本化石骨の頭骨に接合することに成功した。
同化石骨標本のミトコンドリアDNAの分析に1996年11月13日世界で初めて成功。
1997年7月、Cellに掲載された。
ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの塩基配列は、現生人類の遺伝的変異の外にある。
1998年同化石骨標本の放射性炭素年代測定が行われた。加速器質量分析装置(AMS)を用いたのもである。
測定結果は、4万年前~3万9000年前。中期旧石器時代の末、ネアンデルタール人の末葉の年代と一致した。
なお、2010年にはクロアチアのヴィンディア洞窟で発見されたネアンデルタ-ル人骨の核DNAの分析結果が発表された(Green et al. 2010)。
それまでのミトコンドリアDNAの分析からは、ネアンデルタール人とホモ・サビエンスの間には交雑はなかったとされてきた。
しかし、この洞窟のネアンデルタール人の全ゲノム配列の公表の結果は、アフリカを除く現代人のゲノムの1~4%は、ネアンデルタール人との交雑の結果を示しているという。