「なにか活動すること」、その活動が何であるかが問題です。
何であるかを見極めようともせず唯一生懸命になる。
第2次世界大戦で、日本人はほとんどの人が戦争のために働きました。
日本が勝つためにと思い込んでです。
父母、妻、子どもの生活を守るために自分の命を捨てても尽くす。
戦争では、自分が命を捨てても守りたい生活を互いに破壊しようとするのです。
大きな矛盾です。
日本人は沢山の血を流して学んだはずです。
福島原子力発電事故、3年前のことです。
その傷はとうてい癒えていません。
しかし、政府は原発再開の方向を向こうとしています。
人々の安全な生活を犠牲にしても獲得しなければならないものは何でしょう。
従軍慰安婦の問題もそうです。
戦争は殺し会いです。
戦争での訓練とは殺し会いの訓練です。
殺さなかったら殺されるという精神状態におかれて正常な精神状態で過ごすことは困難です。
人に優しくなりなさいということと、人を殺すということとを同時に行うのはとても困難です。
そんな心理状態におかれている兵隊さんの心理状態を少しでも安定させようとの思考が従軍慰安婦という仕組みを軍隊に生んだのでしょう。
戦争は犠牲を求めるのです。
返ってくるなといって特攻隊の兵士に出動命令を出すのです。
それに比べたら命を捨てろではない。
ということがつくったものでしょう。
戦争下にない、今日の私たちの社会で女性の人格を踏みにじり犠牲にして兵士の心身の健康を確保しようということは受け入れられるはずがありません。
人の命を犠牲にさせることが平然と行われる戦時下において密かに行われたことです。
大阪市長橋下さんは、そこを見誤ったと思います。
私たちの身の回りには種々のことがあります。
「ゆとり教育」、学力低下の原因として悪者にされました。
果たしてそうでしょうか、私はそうではないと考えています。
ゆとり教育は、子どもの自主性を育てる教育のあり方として始められたことです。
自主的に考える力を培うことこそ、最も大切なことです。
何が本物か。
必要とされることはなにか。
自分は何のために生きようとしているのか。
自主的に考えることです。
自主的に考えるのではなく、多くの人が体制に流されるままの社会は、自主的に考えようとする人々を抹殺してしまいます。