近年、晩婚、結婚しない、という風潮がかなり強くあります。
私は、教師として50年ほど生きてきました。
学生を思う。生徒を思う。
という教師としての思いの、私自身における変化に思い当たります。

教師になりかけの頃、頭の悪い子には教えたくない。という思いが私にはありました。
しかし、現実に教師になり、学習能力の低い生徒と対面します。
父兄参観日に父兄が来校され子どもについて話されるとき、親御さんだなという思いをフツフツと感じさせられます。
あの勉強ができない生徒に、うちの息子という思いで一生懸命に生きておられる親御さんがおられるということを知らされます。教師としては良くできる子から、できの悪い子までいます。
できのよい子の方が教え易いし、親しみ易いわけです。
しかしできの悪いこの子にも、我が子と思っている親御さんがおられる。
その親御さんの思いを忘れてはいけないなと思いました。

結婚して子どもが生まれ、娘が3歳になった頃でしょうか、休日にすぐそばにある公園に散歩に出かけます。
娘は綺麗な石、光るものを見つけては前掛けのポケットに入れます。
小さなポケットはすぐにいっぱいになります。次には私のズボンのポケットに入れます。
汚いのになーと思いますが、黙って受け入れるのです。
汚いということを教える以前に、綺麗だ、おもしろいと思う気持ちを大切にしてやりたいという思いが自然に浮かびます。
汚いかどうかという知識よりも、いいなと思う思いを大事にしたい、育てようと自然に思うわけです。
教師としては知識を教えます。生きるという力は、知識以前の力です。
親として子どもを育てるという過程で学ばせて貰えるものが沢山あります。
それが教育の場でも活かせるようになります。
同僚の後輩に教師は結婚した方がいいよと私はいいます。
そしてできれば子どもを授かれるといいですねと思います。
教師はできるだけ標準的な人生を経験することが望ましいと思います。
しかしこんなこともうかうか言いにくい世の中になりました。
ちょっと変だと思います。

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