私の母は、専業主婦でした。子どもが7人おり、私は5番目で長男でした。
小学生の頃、学校から帰ってくると、ただいま、の次に母が見えないと「母ちゃんは?」でした。
これは妹も弟もそうでした。
この「母ちゃんは?」の一言に母親との絆が現れているように思います。
母親と息子の関係は、母親と娘の関係とは少し違うのかなと思います。
私にとって母親はある種の絶対者でした。
なにかの折に姉たちが母親批判をしていました。
内容は全く覚えていませんが、そのとき私は、「母親の悪口を言ってはいけない」と姉たちに刃向かったのです。
そんな思いは私の中で生涯続きました。
母が認知症になり財布がないと騒いだことが起こりました。
初めて母親に意見しなければならない場面に遭遇しとても悲しい切ない思いで母に対しました。
母は、
10年間病院に入院し96歳で亡くなりました。
その間、私はあまり見舞いに行かなかったんです。
行けなかったのではなく、行かなかったのです。
本音は痴呆状態の母の姿を見たくなかったのです。
家内や姉妹たちが良く面倒を見てくれました。
大学が忙しいという言い分けで、甘えていたわけです。
母親はどんな場合にあっても最後まで子どもの味方である。
と私は思っています。
世の母にはそれを全うさせてあげなければ行けないと思っています。
母親の子ども虐待が伝えられます。
大変悲しいできごとです。
母にそんなことをさせる社会ではならないと思います。
暮らしが豊かではなくても、「母の思いを損なわせない」社会にしなければなりません。


先日伝えられた福島第一原発での汚染水を入れるタンクへの汚染水の入れすぎで上から溢れたという事件、汚染水の処理という重大な問題に対して、あまりにレベルの低いミスです。
こんなレベルで仕事をしているのでは何が起きるか分かりません。
東海村での臨界事故もそうでした。
全くの素人がやっていました。
どんなときでも子どもの味方である母の思いを損なわない社会、母を悲しませない社会の仕組み創りが基本ではないのでしょうか。
命をかけてやらなければならないことではないでしょうか。  

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