ソチの冬期オリンピックに浅田真央選手は、バンクーバ大会以来、4年間、ジャンプや、技術の修正に腐心してきた。そして、やることは全部やりましたと自信をのぞかせソチ入りをした。

フィギュアスケート団体戦の6分間練習で一緒だった地元ロシアのリプニツカヤ選手への声援の大きさに驚いた。
さらにそのリプニツカヤ選手が今季自己最高を更新する演技を披露した直後、ざわつきが残った中で演技を始めざるを得なかった。
そして全く力を出せなかった。


地元ロシアの大声援は、リプニツカヤ選手に自己最高の演技をさせ、4年間努力を積み上げてきた、そして「あとはやるだけ」と自信を示していた浅田選手を極度の緊張と不安な精神状態にしてしまった。まさに一瞬である。

大声援は、選手に勇気を与え、ライバル選手達には過度の緊張と不安を与えることを今回の場面は見せてくれた。人間にとって心のあり方が何と大きいことか。改めて考えさせられる。リプニツカヤ選手への大声援を、浅田選手が日本の人びとの自分に対する大声援と頭に思い描くことができたとしたら事態は変わったかもしれない。

しかし、・・・・したら・・は、ないのである。

上がらない、上がらない、という現状を抑えようとする思いは、現状を変えてくれない。
さりげなくプラス方向に思いをはせる。
何か積極的な気持ちに向けることが、潜在的に気持ちを強くさせるように働くと私は考えている。
浅田選手は、自分を応援してくれる日本のファンの顔、顔、顔・・・をイメージするのである。


今年の冬は寒い。お風呂に入ろうと脱衣所で衣服を脱ぐとき何と寒いことか。
温かいお風呂に入ろうとイメージしていることが寒さを感じやすい身体にしている。
同じ脱衣所の環境で体重を量ろうとして裸になる。
それほど寒くないのである。
温かい風呂ではなく、体重を量るのだという思いが、身体を寒さに耐えやすくしている。
そして衣服を着ると身体が温かく寒い外も気にならずに新聞を取りに出られる。
試してください。

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