鍼灸界に最も問われる課題は、「鍼灸師の治療力量」ではないであろうか。
鍼灸は治療学である。社会に「治療効果をどれだけ提供できる」かである。
鍼灸師の治療力量はどこで、どのように評価されているかである。
通常は、免許証がその領域での力量の保証であろう。
しかし、鍼灸についてはその免許証は治療力量を保証していない。
鍼灸関係者として誠に残念であるが、鍼灸の免許証は治療力量を保証していない。
社会に対して極めて如何であり、残念であるが実情である。
治療力量を保証するものは何であろうか。
ほとんどないに等しい。
しかし、おそらく最も信頼できるのはどれだけ繁盛しているかと言うことではないかと思う。
繁盛していると言うことは、人びとが由としていると言うことである。
その理由がどうであれ、治療を受けている人たちが納得していると言うことである。
それはそれなりの治療成果を上げていると言うことである。
人は漫才などを聞いて楽しく過ごすと身体の不調が軽快する反応を起こすのである。
身体の不調が好転する反応系は、心地よいという状態で活性化する。
身体の不調を軽快させるルートは種々あるのである。
歴史上において、何ら治療的に意味のないものが大変なブームをなしたという例がある。
人という生き物は、多様な反応性を持っているのである。
本当には意味のないものでも、人びとに受け入れられたそのときには、臨床的に何らかの成果を導いていたものであろう。
鍼灸師の治療力量は、繁盛しているかどうかが、とりあえずの評価であろう。他に評価の基準はほとんどないのが実情である。