小学生の頃学校から帰り、ただいまといった時に母の声が聞こえないとオーム返しのように「かーちゃんはどこ」といっていたことを霧の中のようなどこかで、しかし明確に記憶している。
常に繋がっている存在としての母である。
そのような気持ちがいつどのように変わっていくのかは定かではない。
母から知識として何かを教えられたという記憶はほとんど無い。
しかし、しゃんと背筋を伸ばしている姿が何かを伝えていたのであろうか。
常にそこに居てくれるということへの安心感であろうか。
母への思いは子どもの頃の思いが偶像化し、突然、老化し始める母に出会う。
老化してゆく母を受け入れにくい。
できれば目の前にしたくない。
という思いが強く残る。
老いるということを理解しながらも、母のこと自分のこととなると自然の摂理とは別のところに期待がある。


自然の摂理を分かっていても、なかなか身近なこととしては受け入れにくい。皆そんな思いで生きているのかと思う。

9,10,11月は予定がいっぱいである。前を向き、回想になどひたっている時間は無い。

しかし秋はもの思う季節である。

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