なぜ日本人は英語で科学をしないのだろうか。
・・・その理由は、日本語の中に、科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思想法までもが十二分に用意されているからである。
・・・日本語で科学が出来るという当たり前でない現実に深く感謝すること。
それは、江戸から明治期、西欧から入る外国語の「知」を「日本語に翻訳」して取り込み、母国語の知識体系に位置づけなおしてきた歴史に遡り、文化人達の努力により可能になっていることである。
そして、そのことがノーベル賞学者を生んでいることになっているという。
その恩恵を私たちは気づかないままに享受している。
先人に感謝、以外にないことである。
歴史の重みを感じるところである。
日本人の凄い先見性を学ばなければならない。
著者は日本語の思想性が世界的に、科学、技術の発展に貢献するところが大きいのではないかと考察している。それは西欧のイエス、ノウの世界に対し、日本の中庸という思想が新しい発見へのエネルギーになっているのではないかということである。