「死の科学」が教えてくれること、は、田沼靖一(たぬませいいち)著、「ヒトはどうして死ぬのか」ー死の遺伝子の謎ー、幻冬舎新書の第6章のタイトルです。


地球上に生命が誕生したのは、およそ38億年前。

DNAを遺伝情報として持つ始原生物が現れたのは、約35億年前。

その後、原核生物だけの時代は実に20億年も続いた。
原核生物は、遺伝子のセット(ゲノム)を一組だけ持つ「一倍体」の生物。
一倍体の生物は、同じ遺伝子をコピーしながら無限に増殖を繰り返し、“親”も“子”もなく絶えず殖えていく生き物。そこには、急激な環境変化などによる「事故死」が起こる以外、自ら死んでいくという「死」は存在しない。

DNAを収納しておく「核」を持つ「真核生物」が誕生したのは、いまからおよそ15億年前。

最初に出現した真核生物は一倍体でしたが、その中から「接合」によって一時的に二倍体になるものが現れてきた。・・・。約10億年前細胞が集合体をつくり一つの個体となる多細胞生物が生まれた。
このような多細胞真核生物が大型化し、人間のような高等動物にまで進化を遂げてきた。

二倍体細胞生物は、父親と母親から一組ずつ遺伝子のセットを受け継ぎ、二組のセットを持つ生き物。
二倍体細胞生物お誕生とは、地球上に初めて「オス」「メス」という「性」が現れたことを意味している。

生命進化の歴史を見ていくと、「死」という現象が現れるのはまさにこの時。
つまり、二倍体生物が誕生して「性」が現れたとき、同時に「死」が生まれたーーと言うことができる。
と論が進められます。

アポトーシス、アポビオーシスという「死」が二重に組み込まれていることで、確実に個体が死に、古い遺伝子をまるごと消去できるーーこの二重の死の機構が、次世代、その次の世代へと続く生命の連続性を担保しているのでしょう。

個体の死は「有利な突然変異を活かす」という観点からも、その必要性が見て取れます。

死を生命の進化、連続性のために意味を持つ仕組まれているものとしておられます。

学問の進歩はすばらしいことです。種々の問題を解決する視点を与えてくれます。

本書、是非お読みください。こだわりをなくし、さわやかな幸福感に満たしてくれます。

北雲雀「きずき」の森は、石切山(海抜283.7m)などの里山の森です。
このような山々がいくつか連なりその懐のような高台の広がりの住宅地に隣接して宝塚医療大学が出来ました。
11月の紅葉のシーズンは、連山紅葉しすばらしい眺めです。
田舎育ちで自然を友とする私にはこの上ない環境です。

北雲雀「きずき」の森はこの地域の里山です。
遊歩道が山の中に宝塚医療大学を取り囲むようにあります。

「きずき」は、里山の自然の変化を「気付き」、森の木々の「木好き」、里山、地域の「築き」の三つをコンセプトとして「きずき」の森としていると書いてあります。

雲雀というように動植物、自然豊かな地域です。

「大地に立ち自然と共にある」を生活信条とする私の仕事をする地域としては願ってもない自然環境です。

この地から「自然と共にある生活」のあり方を発信したいと思います。

入浴:

・湯温42℃の入浴:刺激浴、長湯はのぼせる。
  風邪のときには、入浴しないで早く休みなさい。:生活の知恵、
   母親は通常そのようにいいます。

・湯温39〜40℃の入浴:治療浴、身体の治す力を高める。
  風邪のときには、ややぬるめの湯温で20分間ほどゆったり入浴する。
   風邪を早く回復させます。:身体の仕組みによる科学的生活の知恵。

こんな科学的生活の知恵を活用できる生活:私は鍼灸と関わって50年ほどになります。
しかし、私自身はほとんど鍼治療を受けていません。理由は上記の入浴です。

入浴は極めて日常的な健康法です。
しかし、湯温を変え入浴法を工夫すれば治療浴なのです。
身体の治す力を調整してくれるのです。

身体の仕組みを活用する治療とは、身体の仕組みの活用の仕方は、
原理さえ飲み込めば応用は様々に出来ます。

大切なのは身体の仕組みの理解です。
こんな学問を学んだら、自分自身の健康な人生を作れると思いませんか。
そんなママがパパが付いていたら子供は安心だと思いませんか。
そんな人が身近にいたら助かるなと思いませんか。

自然鍼灸学を学ぶことは豊かな人生のために確かな支えになると思いませんか。

自然鍼灸学を学び自らの人生と周囲の人たちの人生を豊かなものにしましょう。

昨年は寅年で私は年男でした。
昨年の最大課題であった宝塚医療大学が実現したということは願いが叶ったということでしょう。
今年への願いです。

社会で職業教育といえば、「ご飯が食べられる仕事」ということが前提です。
しかし、鍼灸の世界では、鍼灸の免許では飯は食べられないよと、鍼灸関係者が平然と言います。
そんなことで勉強しようという人たちを集められるでしょうか。
ご飯が食べられない免許:鍼灸、では、鍼灸学校はなくなります。
我が国における鍼灸の将来はないということです。
鍼灸はすばらしいものを持っています。
しかし、日本における鍼灸関係者が鍼灸では食えないというようなことを言う人がいるようでは将来はないです。 

「ご飯を食べられる鍼灸師教育」を実践できることに私の人生をかけます。
そのために私は努力します。
それが私が社会から受けた支援に対する恩返しです。
私の人生の最後の仕事です。

自分が「幸せだな」と思える時を持てることが大切です。

幸せだなはどのように感じられるのでしょうか。
これは各自の人生の目標とも関わります。日にちを変えて述べます。 

その「時」を生きる。
「生きる」ということを最も大切なことと考える発想です。
24時間で自転する地球で生きる私たちの24時間を「生きる」ことを最も大切にして過ごすことです。

通学、通勤は、学ぶところ、仕事をするところに到達することを意味します。
しかし、それは私たちが生きる24時間の中の一部であるということです。
通勤、通学は同時に生きる時間の一部であるということを発想の原点に置くことを:その「時」を生きると考えます。

学校で学ぶ、勤務のところで仕事をする、私たちの活動時間の大半を過ごすところです。
通学、通勤時間帯は、最も主要な活動時間のウオーミングアップ時間帯でもあります。
単にあるところへ到達する時間だけではないのです。

このような発想に立てば、通学、通勤時間の過ごし方、通学、通勤の望ましいあり方が整理されます。

筑波技術大学(私が勤務したときは筑波技術短期大学)は私の自宅から5kmほどあります。
ほとんどを遊歩道で歩けます。
歩き、自転車、バス、タクシーなどの選択肢があります。
私は多くを歩いて通勤しました。
遊歩道を歩きながら頭では既に勤務が始まっているのです。
身体は歩行という運動でウオームアップします。
歩きながら今日の仕事の段取りを考え8:30分に大学に着くともにパソコンに向かい先生方へのメッセージを書き9時前に渡します。
大学に着いたときには身体は温まりほんのり汗ばむ状態です。
そして1日に必要な活動量を確保しています。
ということです。
通勤がその場所に着くこと以外に、私の1日の生活のスタートでもあるわけです。
あらゆる時間は24時間を生きる時間の一部なのです。当たり前のことです。
しかし、今日、当たり前でなくなっています。
その時を生きるという発想で、物事を考えると多くのものが、違った捉え方が出来ます。
自分自身を主体的に積極的に生きる生活スタイルができます。

日本人の発想は、多くの調査で睡眠時間を削って時間を作り何かをしています。
睡眠時間は単に疲労回復ではなく、私たちが生きるにもっと大切な役割をしていることが脳科学の進歩が示しています。
睡眠時間を削ることは命を削ることなのです。
生きることを大切にする発想からは選択されない発想です。

2010年最後の今日、なにを書かせていただこうかと考えていました。
やはり皆様に生かしていただいていることに感謝することがテーマだなと思いました。

72歳にしてあちこち新幹線で、飛行機で移動し仕事をさせていただきました。
それを学園に感謝し、このHP見ていただいた皆様に感謝しです。

数年前に日本伝統医療科学大学院大学を創設していただきながら、
私が未熟なままに思い半ばにしてせっかくの教育、研究の場をなくしました。
70歳近くにして今にして思えばなんて愚かなことをと反省しきりです。

2010年に私が育てていただいた鍼灸師教育の世界で、
もう一度、「ご飯を食べられる鍼灸師教育」という課題に挑戦するチャンスを
「宝塚医療大学創設」という形で実現してくれました。
これは感謝以外の何者でもないと感じています。
私が生かされ家族を支えてくれた人生の最後の課題、
社会への感謝の課題への挑戦の機会をいただきました。

「ご飯を食べられる鍼灸師教育」実現の課題に挑戦します。
具体的モデルを「宝塚医療大学」で示します。
そして我が国の社会に具体的な方法論を示します。
これが2010年の最後に示す私の決意です。
ただただ感謝です。

「治療効果を体験させる鍼灸臨床実技実習」2009年8月1日に書きました。

物理療法は、その治療を受けて体験することで本当の理解がなされるといいます。
私もまさにその通りと考えています。

私は、30年近くも鍼灸の実技実習指導から遠ざかっていました。
昨年、今年と久しぶりに参加する機会があり、改めて考えさせられました。
臨床にもそれなりの体験をした現在の私が考える鍼の実技実習は、

1 鍼基礎実技実習:安全に、痛くなく、確実に刺鍼する技術を学ぶ。

2 鍼臨床基礎実技実習

2-1 鍼臨床基礎実技実習1 身体各部への安全な刺鍼法を学ぶ。

2-2 鍼臨床基礎実技実習2  治療技術の一つ一つをその治療法と効果を体験させる。

従来、治療法の効果を体験させるという部分が多くは行われていなかったと思います。

現在、そのようにやっておられる先生は立派だと思います。
臨床的な力量が高まってこないと発想できないことなのかなとも考えます。
文部科学省の学習指導要領に関わっていた頃の私には、まだその発想がなかった様に思います。
経験を積んだ臨床的に、研究的に、教育的に力量を高めた指導者が必要です。
それなりの環境がないと人は育たないものです。

3 鍼臨床実技実習 症状を持つ人達を実習対象にする臨床実習です。

平成7年から鍼灸の臨床実習施設が設置義務化されていますが、専門学校の多くでは極めて不十分な状態です。

2 鍼臨床基礎実技実習の段階までは、せめて充実したいものです。 

鍼実技実習は、上記で大丈夫です。

現在の鍼灸師教育に実践的な治療学がないことにお気付きでしょうか。
治療学の理論がないのです。
これは明治のときに鍼灸を西洋医学化した影響です。
治療学を作れなかったわけです。
その結果、局所治療が可能な「痛みを主訴とする運動器の症状」だけが、日本で鍼灸治療の対象になるということが起きました。
西洋医学を根拠とした鍼灸教育は、内科系訴えに対する治療学を用意できなかったのです。

私が述べている「自然鍼灸学」は、明治のときに用意できなかった内科系訴えに対する治療学、身体の機能を主体とする治療学です。
これが加えられて明治のときの「鍼灸教育の西洋医学化」が、体系が整うのです。
種々の症状に対する経験医術の真髄を生かした治療学が提供できるようになったのです。

以上を実践的に確実に教育すれば3年間で治療の出来る鍼灸師を教育することが可能です。
「ご飯を食べられる鍼灸師教育」です。経絡治療など古典的な鍼灸教育は、その上に乗せ、卒後教育も含めて育てます。

宝塚医療大学での鍼灸師教育は、3年までに上記の教育で「3 鍼臨床実技実習 症状を持つ人達を実習対象にする臨床実習」を行い、治療の出来る鍼灸師を育てます。
4年制の段階で、経絡治療、中医鍼灸などの古典医学体系による鍼灸へと導きます。
もちろんこれで古典医学体系による鍼灸による治療家としての教育が完成しません。
卒後教育につないで何年かかけて希望のものを身に付けるということです。
西洋医学による鍼灸治療を出来るところまでは確実に教育されています。

このタイトルに答えを与えるために「未病を治する」という鍼灸による予防医療実践集団をつくりましょう。
その担い手は、母親が最適です。
母親鍼灸師集団を組織化することで家族の・地域の人々の・国民の健康を守る、新しい集団をつくりましょう。
それは新しい家庭作り、地域作りの核になります。
日本の地域を、健康作りを基本とした人々の新しい生き生きした連携を作ります。

母親鍼灸師は、自分の家庭を支えながらそれぞれの家庭事情にあった仕事スタイルを創造します。
そして地域の人々の健康を支えます、地域の生活を支えます。

家庭の主婦としての生活を守りながら集団で「未病を治する」という鍼灸の力で地域の人々の健康を支えます。
家庭生活を支えながら地域の人々の健康の支え手となります。

単なる職業人養成ではなく、家庭の主婦としての新しい人生設計です。

もちろん専門職業人としての道は作れます。
「未病を治する」という特長を生かすと新しい人生設計が浮かびます。

鍼灸師教育の大きな柱にしたいものです。

「冷え」、「冷え性」について考える機会を得た。
冷えに悩む人は多い。
しかし、考えてみると、私たちは「恒温動物」として身体の温度を一定に保つ機能を持っている。
恒温動物でなければ、体温が下がれば冬眠する。恒温動物であるが故の冷えの悩みである。

動物として当たり前に動き、動物として当たり前に食べ、自然のリズムにしたがった生活をする。
当たり前な生活をすることで「冷え」は解決する。
今の社会は、当たり前な生活が失われつつある。
冷えに対して特別な対策をするのではなく、当たり前な生活とは、何であったのかを取り戻すことこそが大事なことである。

治療して治す以前に、当たり前な生活を取り戻すことである。
多くの不健康は、そのことで解決するだろう。
当たり前な生活をしても病気は起きる。
当たり前な生活をして、それを前提として、病気の治療である。
生活習慣病の考え方はそこにあるわけである。

「健康日本21」:1に運動、2に食事、きちんと禁煙、最後に薬。と厚労省は掲げている。  

1 「考える血管」ー細胞の相互作用から見た新しい血管像ー
児玉龍彦・浜窪隆雄著、ブルーバックス。2007年
第1章 伸びる血管
第2章 躍動する血管
第3章 血管を彩る血球立ち
第4章 詰まる血管
2 「老いない体の作り方」 
鄭雄一著、ワック株式会社。2010年
第1章 先進国病・骨と軟骨の弱体化
第2章 「老いない体」とは何か
第3章 「老い」と「骨と軟骨」の関係
第4章 間違いだらけの健康常識
第5章 骨と軟骨を強くする実践編
3 「のばそう健康寿命」
辻一郎著、岩波アクティブ新書。2004年
第1章 健康な80歳代の生き方に学ぶ
第2章 健康寿命とは
第3章 病気を予防して、健康寿命をのばす
第4章 老化を遅らせて、健康寿命をのばす
第5章 貯めて、健康寿命をのばす
第6章 介護予防というチャレンジ
第7章 老いを愉しむ

「本物か、偽物か」難しい言葉です。
ブランド品のようなものは、ものの善し悪しではなく、そのブランドであるかないかですから明快です。
しかしよいものであるか草でないかの本質を問う意味での本物はなかなか大変な言葉です。
治療に関する、健康に関する種々のものがあります。何々に効くなどのものです。
健康雑誌などで書かれているものなどです。見極めなければなりません。
見極めようとするものに関連する知識がなければ見極められないのは当然です。
専門領域については見極められないのは力不足です。

専門領域についてのことは見極められるようになりましょう。
見極められるには、細切れの知識をいかに沢山学んでも見極めは出来ません。
体系化した有機的に関連性を持った知識として学んだ知識が見極めを可能にします。 

マッケンジー法は本物です。

マッケンジー法の原理は、偶然の出会いが発見のチャンスになりました。
1956年のある日、マッケンジーさんのクリニックが混み合っていたそうです。
3週間前から通院している患者さんが来院しましたが、
ベットで休んでいてくださいといって、10分ほどしていってみると、
ベットが少し起こされた状態で、そこに患者はうつ伏せに腰を反らす格好で休んでいました。
マッケンジーさんはびっくりして、どうですかと尋ねると、
3週間のうちでは今が一番よいとのことでした。
椎間板傷害系の腰痛は、腰を反らさないというのが原則でした。
このことからマッケンジーさんの研究が始まりました。
そして椎間板が関係する腰痛は、腰を反らす運動を行うマッケンジー体操が完成することになります。

椎間円板の構造と機能をを考えると至極もっともなことです。合理的です。

世界のスタンダードになっています。日本が遅れています。
なぜこんなに日本が遅れたのでしょう。

マッケンジー法は患者さんが自分で出来るというすばらしい特徴を持っています。
自分自身で管理する。
日本人は人に頼ることが好きです。任せることが好きです。
医師に治療者に依存することが好きです。名人のような高度な技が好きです。
これらのことが日本で遅れた理由でしょうか。
しかし、生活習慣病は自己管理が基本です。
私たちはマッケンジー法を学び国民のために患者に貢献しなければなりません。

腰痛は最も多い訴えです。
腰痛の代表が腰椎椎間板ヘルニア、腰椎椎間板症(椎間板ヘルニアの初期状態)です。
全体の60%ともいわれます。

この腰痛に革命が起きています。
それがマッケンジー法です。
アメリカ、ヨーロッパなどでは20年前に起きたことです。
マッケンジー法が上記腰痛治療のスタンダードになりました。
日本は遅れたのです。

マッケンジー法の特徴は、

1 背骨を反らす運動を主体とするエクササイズです。

2 患者自身が行います。

3 身体の仕組みを主体としています。

これは本物です。
患者自身が行うという所に治療者としての名人芸など役割を主張できないというところが
人気がなかった、受け入れに時間がかかっている理由でしょうか。

生活習慣病は、良い生活習慣に対する患者の意識こそが大切です。
医療者が行うのではなく、患者自身が行うのです。
マッケンジー法は、脊柱に対する生活習慣病対策の考え方によく沿っています。

マッケンジー法のテキストです。

① 自分で治せる腰痛改善マニュアル:ロビン・マッケンジー著、訳、銅冶英雄・岩貞吉寛。実業之日本社。1.300円。

マッケンジー法開発の著者の原著です。

② 腰痛治療革命:穴吹弘毅著。発売:メディアパル。

穴吹弘毅氏は整形外科医です。治療者向けに書かれており、整形外科観点からのデーターが豊富です。1.200円。

③ 腰の激痛が消える!革命的療法!マッケンジー体操:石橋俊郎監修。宝島社。

石橋俊郎氏も整形外科医です。一般の人がマッケンジー法を実践するに良い本です。780円。

鍼灸専門学校、大学の鍼灸学科が学生募集に苦戦しています。
特に、大学鍼灸学科は、危機的な状況です。
このままの状況が続いたら早晩、潰れることになるでしょう。

そんな時、10月26日に文部科学省大学設置審議会で「宝塚医療大学」の設置認可がされました。
こんな危機的状況の中で、また何で渦中に飛び込むようなことをするのでしょう。
苦境に入るのは明らかでしょう。
しかし、危機であるときこそチャンスでもあります。
鍼灸教育の関係者は、困ったと思っているはずです。
本気で困ったと思っていないとしたらお先真っ暗です。
本気で困ったと思っているはずです。
改革のチャンスです。

鍼灸教育を改革することが日本の鍼灸を立ち直らせることです。

鍼灸教育の改革は、「ご飯を食べられる鍼灸師教育」です。
ご飯を食べられないのでは職業ではありません。
宝塚医療大学はこの鍼灸改革をするために誕生します。
それが渦中に飛び込む理由です。
宝塚医療大学のみが救われればよいのではないのです。
日本の鍼灸教育を「ご飯を食べられる鍼灸教育」に立て直すのです。

半径2mの世界、最近老眼が進み、講義中に資料が見にくくなりました。
本が読みにくくなったのです。しょうがないので老眼鏡をかけます。
すると学生の方が見えないのです。何度もメガネを掛け替えて授業をすることになります。
先日、旅先で老眼鏡を紛失しました。忘れてきたのだと思います。
古い老眼鏡を出して使ってみると教室内ぐらいが見えやすく使えるのです。
眼鏡屋さんに行き相談すると、遠近両用のメガネがとてもよくなっていることを知りました。
講義、実習ともにうまく使え、メガネを掛け替えなくてよくなりました。
考えてみたら鍼の臨床を行う環境は、、カーテン等で仕切り、半径2m以内の空間です。
遠近両用のメガネを、30cm以内に焦点の近点用と、2m以内に焦点の遠点用の組み合わせで
メガネをつくると臨床用にぴたりではないかと考えたわけです。
来年4月から臨床の機会が増える予定です。
近いうちに眼鏡屋さんに行く機会をつくろうかと考えています。
先日、親しい友人、しかし、しばらくお会いしていない友人に偶然巡り会いました。
 
私は東京駅から総武線に乗り荻窪に住む長男の家を訪ねる途中でした。
三つの席を二つと一つに分けた二つの席に私は座っていました。隣はあいていました。
神田で白杖を持った人がヘルパーとともに乗車され、ヘルパーは私の隣に白杖を持った人を案内しました。
向かいの席も一つ空いていたので、私はそこに移動し、ヘルパーの方が白杖を持った人と並んで座りました。お茶の水駅で大勢の人が乗られ、社内がだいぶ混雑になりました。
何気なく立っている人たちを眺めると、直ぐ近くに友人が立っています。
手を上げて合図をすると向こうも気づきました。偶然の出会いに二人でびっくりしました。
席を変える前の席にいたら気づけなかったのです。席を変わっていたからチャンスが生まれました。
逆に席を変わっていたからチャンスを失ったということもあったかもしれません。
しかしそれは私に意識されないのです。
偶然の中に、自分の意識によって行った積極的な行為が関わっているときは、
幸運に導かれているという思いが沸いてきます。
友人との関わりが思い出され、新たな絆をつくってくれることにもなるかもしれません。
このタイトルで私が何の話をしようとしているかおわかりになりますでしょうか。
「蚊の世界」です。
といっても私は昆虫の研究者ではないので、やはり鍼の話です。
セイリンで、半径0.05mmの鍼を開発しました。
蚊の口と直径で0.02mmしか違いません。
太さの面積比では、約1.5対1です。
蚊の世界に近づいたわけです。
蚊は、刺しても気づかれません。
痒くなってやられたと気づきます。
蚊は気づかれずに刺し血を吸うのです。
気づかれずに刺す、鍼の極意です。
鍼は痛いということが大きな壁になっています。
練習による技術でそれを克服しようとします。
技術とは別に道具としての鍼が、その太さでは、蚊に近づきました。
針の太さ、針尖の研究が気づかれずに刺す針を可能にするかもしれません。
本当にすごい技を持った人は、人前に出たがらないようですね。
ですから人に知られないというところがあるようです。
私は知りませんが、ひょっとしておられるのかもしれません。
「ひらめく」といいます。
ひらめかない人には、どうしてひらめくのか理解しにくいのです。
ひらめきのための準備は、筋道を就けた解決への手がかりの整理ではないでしょうか。
それを瞬時にできる場合、少し時間をかけてできる場合、なかなかできない場合ということかと思います。
先日、かみさんと2枚のアクリル板を合わせて、その間に写真を鋏んで飾る額縁で写真を飾っていました。
アクリル板の大きさいっぱいに写真を切り、かみさんが枠をはめていました。
なかなか枠がはまりにくかったんです。
とんとんとんと音がするので、ひょいと見ると、かみさんが枠の端を叩いて入れようとしています。
枠が壊れたら終わりと思い、やめなさいと止めました。
それから二人で枠を外そうと枠を引っ張りますが抜けません。
細い金属の枠ですから力が入りにくいのです。
何か摩擦抵抗の大きいものを枠に巻いて引いてみますが抜けません。
どうしたら壊さずに抜くことができるかを考え、枠の金属の端を押すことができれば、
両手でアクリル板を引けるので抜けるかもしれない。
金属の端は斜めに切り落とされており、0.1mm程度しかありません。
この端を押す、この端を固定するには、鋭い角のあ縁、台があれば可能です。
そんなものがあるかしらとしばし考えました。
思いついたのです。物置に、昔の紙を切るカッターをしまってあることを。
もう捨ててもいいなと思っていた道具です。台板の端に金属の刃がついています。
当然鋭いのです。
早速探し出して用いました。両手でアクリル板を力を入れて引くと抜けたのです。
アクリル板の写真立ては、アクリル板より小さな写真にして、
アクリル板がたわむ余裕を必要とするようです。

私には孫が四人います。長男のところに中2と中1の二人です。
長女のところに幼稚園の年中さんと間もなく2歳の二人です。
長女のところの二人が男の子で手の掛かる最中です。
家内は実に上手にこの二人と遊びます。1時間でも2時間でも相手をします。
幼稚園の年中さんは、家内が大のお気に入りです。
下の間もなく2歳は、ジィジといって私によくついて回ります。

 私は、まだ現職におりますから、家で仕事をする機会が多いのです。
孫の相手ばかりをしてはおれないという思いがあります。
現実は、目の前にいる孫の相手をせざるを得ないのですが、
頭は仕事のことに向かいがちなのです。
年中さんはその辺を察知するのです。

家内は孫を主体として相手をしてやれるのです。
私は自分を主体とする時間が必要という呪縛から解放できずに、孫を主体と仕切れないのです。

職業人としての自分を終わりにしたときには、孫を主体とした生き方ができると思います。
世の中には、仕事を辞めて、辞めざるを得ないで親の介護に専念している人たちがおられます。
食事、排泄、入浴などの生きる基本的なことが介助を必要になったら、
家族はそれに専念せざるを得ないのです。
命を支えるために介助を必要とするお世話を父の時は母が、姉妹がしました。
母の時は、家内、姉妹弟がしました。私は免除される幸運にいました。
それが72歳まで職業人としての活動を可能にしてくれました。幸運というしかありません。
多くの戦争では、多くの若者が何かのために戦い、命を捧げてきました。

人間の社会では、形が変わっても、何かのために人生を捧げるということは避けられないのかもしれません。
運、不運の巡り合わせが選んでいるとしかいえません。

他者を主体として生きるには、心に何を求めたらできるのでしょうか・・・。

8月の最後に紹介した「腰痛はアタマで治す」の本を読み考えました。
6月5日に30分で行う腰痛治療のことを書いています。
背部の治療として寸3、1番10本と書いているのですが、
この10本は、深層背筋の多裂筋を対象(Th2・5・9,L1, 次 )にしているのですが、
最長筋(Th9・12、L2)の6本を加え深層背筋に対する対応を十分に行うことが立位バランスを整え、
あの本でインナーコルセットといっている、
体幹部の筋緊張バランスを整え脊柱支持筋の緊張バランスを整えることが望ましいと考えます。
35分から40分ほどに時間が必要になります。
 
腰痛治療は立位バランス、歩行バランスを整えることこそ根本治療です。

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