次にもう一つの、生きる知恵に裏打ちされた感覚の用い方です。
 
野生動物の観察記などで、すごい知恵を働かせる動物のことが書かれています。私達、人間の場合は大部分は知識ですね。診察などは知識がほとんどを支配します。したがって勉強して、単に細切れの知識ではなく、有機的関連性をもった役立つ知識を多く学ぶことで力を高めることができます。しかし、知識で説明できないけれども、変だと思う気付きが大切です。なんだか分からないけれども知識、経験と照らして変だと思える力。知識と経験から筋道を立てて観察できる力と共に、筋道に載らないけど「変だ」と思う気付く力が重要です。この力は周囲に広く気を配る高い緊張感が機能するところだと思います。

自らの力で「気付く力」を高めるには、面白いということを見つけることです。そして興味を持つことです。我が家のエコで、雨水のことを書きました。私は小学生の理科実験のように面白いと思いました。そのことが雨の降り方と木々の元気さとを自然に比較してみるようになりました。いつでもです。7,8月に雨が少ないと綺麗に紅葉しにくいなどのことに気づきました。面白くなるのです。自然に注目度が高まります。気付く感度が高まります。

感度が高まって困っていることもあります。駅などの階段での甲高いサンダルの音です。私には耐え難いのです。しかし世の中は受け入れています。どうしてあんな必要もない音を許すのでしょう。私は自己防衛として如何に聞こえないように、気にしないようにしようかという努力をしていますが、ばかばかしいです。

孫との休日で紹介しております2.5歳の孫のことです。2.5歳は散歩に行ってもすぐに抱っこというんです。12kgほどありますから、そんなに抱けないんです。そこで、自転車の前に乗せて1時間ぐらいの散歩をします。この孫が色々なものに気付くんです。本当は歩くのが一番いいのですが、自転車は、見えるし、聞こえるし、肌で感じられるのです。

 

孫はまだ、言葉が十分でないので、表現できずに、「オッ 」という気付きを表現します。私はそれが何に注目しているのかを察知し、何かの解説をします。小鳥の声であったり、花であったり、空の雲であったり、飛行機であったりします。その気付きに共鳴してやります。共鳴してやることが意識化するに大切なことだと思います。そのような積み上げが、観察の高い緊張感を育てるのではないかと考えています。教師は学生の気付きに共鳴することが、知識ではなく機能を育てると思います。 

私は、鍼灸の臨床実習指導を7,8ベットを同時に用いて長年やってきました。ベット一つ一つがカーテンなどで仕切られていますから目では見えません。私は順にベットを回っていますからどこかのベットにいるわけですが、どこにいても他のベットで学生が患者とお話している内容がおよそ聞こえるのです。離れたところから、「何々さんそれは・・・・」という指示をします。今診ている患者さんに集中しているのです。しかし周囲にも気を配っているのです。野生動物の世界を考えたら当然のことと理解できます。 

教員になるには、教育実習で、研究授業ということが行われます。先生方の前で授業をするわけですが、そのために、1時間の授業についての授業計画書(指導案)をつくります。

指導案は、1時間をドラマのように内容はもちろん、教師、学生の台詞も全て想定しつくります。そして計画通りに授業を行うのです。十分に計画案を練り、指導教官の指導を受け、つくりあげます。研究授業というように、まさに授業の課題について教育研究するわけです。そしてそれを計画通りに最大の注意を払って実践します。ここに費やす時間とエネルギーはすごいものです。前の日には当然1人でリハーサルします。

これを一度経験すると、次にはそれほど努力しなくてもそれに近いことができるようになります。脳と身体が学ぶのです。本を読んで分かったというのとは違うレベルでの学習が成立します。

トレーニングは、見よう、聴こう、感じようというあらゆる感覚を高い緊張感で生活することです。というと随分大変なことのように聞こえます。疲れちゃうと思われます。
 
疲れるのです。へとへとになります。そこがトレーニングなのです。自転車の練習がそうです。ものすごい緊張感で、全身の筋肉を使ってくたくたになります。しかし、覚えてしまえば全く問題なくできるようになります。後は自転車に乗る時間の長さで筋肉疲労だけです。高い緊張感は、トレーニングによって高い緊張感を平然と維持することができるようになります。

観察する力、これは野生動物の世界においては強力な格闘力以上に重要な意味をもつ力です。それは命を維持することに直結する力です。それは動物的な感覚の鋭さと生きる知恵に裏打ちされた感覚の用い方とからなるものでしょう。

前者の動物的な感覚の鋭さは、トレーニングによります。

どのようにトレーニングしたらよいかです。

観察する力は、観察して意識できるものにできるかできないかが重要なことです。

見れども見えず、聴けども聞けず、といいます。
目に見えていても、耳に聞こえていても意識と結びつかないと見えない聞こえないのです。

年を重ねることで身体のあちこちの機能が低下します。
これを最小限にとどめる最も大切なことは、一日の生活リズムを守ることにあると思います。
ヒトは自然の創造物なのです。
午後10時には就寝し日の出前には起床する。
太陽と共にある生活時間が心身の機能を整えてくれます。
年を重ねると身体の調節機能が無理をできなくなるので、自然のリズムから外れない生活を守ることで、心身の状態を良好に保持します。
健康寿命を延ばし、少しでも社会に貢献し、周囲のお世話にならなければならない期間を如何に短くするか。
本人の自覚に最も大きな責任があります。
ステッキを使う。
50歳代になると変形性膝関節症を発症することが多くなります。
膝の関節軟骨が損傷するのです。
膝への負担を軽減することです。それによって生活機能を高められます。
でも実際には、「杖を使う」やはり老人のイメージです。
多くの人はいやがります。
「素敵にステッキを使う」です。
傷んだ膝に負担を掛けずに運動機能を鍛えるのは、膝に体重を掛けずに膝を動かすことです。
自転車、椅子坐位での膝の屈伸、プールでの歩行、水泳、など工夫のできる場面が沢山あります。
片足立ちして作業をしなければならないのが、ズボンの着脱です。
とてもできないと思っている人はしませんから事故にはなりません。
できると思っている人がしくじって転倒します。
60歳を過ぎたらズボンの着脱時には丸イスを使う。衣服の着脱の場には丸イスを置く。
そんなことをしたら身体を鍛える機会が少なくなり一層機能の低下を招くのではないかと思われるかもしれません。
身体を鍛えることは危険のないところで十分できます。
バランス機能の衰えを自らどう支援するか。
先に述べた踏み台の最上段を脚の支えにする。これも自らの工夫による支援です。
日常生活の中で、バランス機能で事故につながりやすいのが階段です。
手摺りは使わない。でもいつでも手摺りに、あるいは壁に手を触れることのできる位置で階段を使う。
事故を防ぎます。
運動機能で一番先に衰えるのは、バランス機能です。
踏み台を使っての作業が不安定になります。支援が必要になります。
踏み台作業をより安全に行う工夫をすることができます。
踏み台の最上段は使わない。
踏み台の最上段より一段下までを使うことで、最上段を脚の支えにできます。
衰えたバランス機能を自らの力で高められるのです。
そのようなことは種々あります。
それは、年を重ねることで低下してくる機能を、自ら、自らの心身を支援できる場があるということです。
具体的に述べますと、たとえば、50歳前後から老眼が始まります。
物が見にくくなります。
老眼鏡や虫眼鏡で視力の衰えを補っています。
本を読むときは老眼鏡です。
しかし、ちょっと何かを見たい、電車に乗っていて切符の記載事項を見たいというときには、ちょっと見れば用が済むのです。
老眼鏡をかける程のことはないのです。
便利なのがルーペです。
私は、頸に鎖でかけるルーペを使っています。
頸に掛けることで、確実にいつも決まった場所に、ルーペがあります。
しかも頸に掛けていることは、いつも自分の身体の一部になっています。
どこに置いたか忘れることをなくしてくれます。
自らの工夫で衰えた機能を自ら補うことが可能なところがあることです。
衰える機能は必ずしも他の人に支援を受けなくても、自ら支援できる工夫が可能な領域があります。
このことを書きたいのです。

70歳間近な今、前回、老人という言葉を使わない、ということを書きました。
今回は、年を重ねて何かを支援していただかないと生活に支障をきたす、ということを書きたいのです。
特に支援を受けることについて書きたいのです。
子供は生まれて一人前になるに、社会的には20年かかります。
年を重ねて生活するにはやはり子供と同じような支援が必要なのだと思います。
しかし、子供と違うところがあります。
それは何でしょう。

昨年頃から短時間に猛烈な雨が降ることが多くなりました。
その時に何が起きるかといいますと、ペットボトルの部分が急激な雨水に耐えられなくパンクします。
2007年からこのようなことが再々起きるようになりました。
集中豪雨です。
近年の新しい現象です。
雨を量るということが実に沢山のことを教えてくれました。
我が家の庭は、小学生の実験室のようです。

我が家の庭も西の方は狭く、雨水を特別に給水する程の樹もありません。
東側の庭で使うのが最も有効のようです。
そこで東側の庭にホースで運んでいます。

雨水が屋根から落ちてくるパイプは60mmの太さです。
私は30mmのホースを使って運んでいますが、この60mmから30mmにつなぐのがなかなかの問題です。
このつなぎにぴたりフィットするものを見つけました。
500ミリリットルのペットボトルです。
ペットボトルの口が30mmのホースにぴたり合います。
ボトルの底を切って、屋根からのパイプに締める道具で取り付けます。
この仕組みが2001年から今日まで役立っています。

小鳥のために少し高い木を一本植える。
我が家の庭の真ん中には、一本のケヤキの木があります。これは小鳥のためです。
背の高い落葉樹は、秋の落ち葉が近所のご迷惑になるというので避けます。
落ち葉がご迷惑と言うことが変だと思います。
紅葉の落ち葉も生活の中で楽しめないのです。
家内と半年かけて討論し、我が家の庭には、シンボルとしてケヤキの木が一本あります。
2階の屋根より高くなっています。

雨水の活用法ですが、木々に与えるのが一番手近です。
木々に与えるには庭に木々が必要です。
今の建て売り住宅は多くが、50坪ほどの土地に建てられています。
東京の都心は当然もっと狭いわけです。
50坪もカーポートを2つつくるとほとんど木を植えるところが残りません。
人が寝起きする場があればよいという考え方です。
プラス30坪、これを私は余裕の30坪といっています。
30坪ほどの庭があると木々や草花など多くの楽しみが生まれます。
それが人の住む家だと私は考えています。
それが町づくりの基本ではないかと考えています。

屋根から落ちてくる雨水は、最初は泥だらけです。
土埃が屋根に溜まりそれがまず流されてきます。
大相撲の蔵前国技館は、屋根の雨水を活用しています。
こんな泥水をどうしているのだろうと思い、インターネットで調べてみました。
やはり泥だらけの最初の雨水は捨て、綺麗になったところのものを貯水していました。

最初は屋根の雨水を直接50リットル程のバケツに溜めました。
そうするとバケツに溜まる雨水が泡を立てるのです。
その泡がなかなか消えません。
有機物を含んでいることが予測できます。
インターネットで調べてみると、日本では全国的に酸性雨が降っており、全国の年平均値は、pH4.8~4.9とされています。
朝顔の花がpH4.5よりも強い酸性で白い斑点ができます。
この現象を手がかりに全国調査を行うと、朝顔の花で被害があったという報告が半数近くに及んでいます。
しかし、測り方ですね、降り始めて1,2mmのところで酸性度を測れば当然強くなります。
10mm、20mmも降ってから測れば、酸性度が薄まり弱くなります。

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